自分の子ども時代は絶対そんなことしなかったよな・・・ということも、子育てをしていると頻繁に発生する。
うちの娘は小学校に進学してから、全く下敷きを使わない。
娘がノートの間に下敷きを敷かずに勉強している姿を見て、私は気持ち悪くて仕方ない。
後ろのページに鉛筆の黒いのが写るし、あのざらざらした感覚で文字を書くなんて私は信じられない。
シャーペンでノートをとる際は、私はいつも下敷きを使うので、彼女が使わないことに違和感を感じる。
なぜ下敷きを使わないのか尋ねると、
「普段から使っていないし、特に必要ないし、使わないほうが自由でいい。下敷きを使うほうが違和感がある」
とのこと。
その言葉には彼女なりの論理が込められているし、彼女は私とは異なる視点から物事を見ているらしい。
少し掘り下げて考えてみる。
考えの押し付け
小学校低学年の時は、私も頻繁に「下敷きをひいたほうがよいのでは?」と提案した。
が、全く使おうとしない。
下敷きを敷くことの意味や目的も以下のように説明した。
- 下敷きは机の上に置くことで、筆記具の跡が机につくのを防ぎ、書きやすさや清潔さを保つためのアイテム
- 下敷きは机やノートを保護し、耐久性を高める役割もある。
- 下敷きは子供たちの姿勢を正す助けにもなる。
- 正しい高さの下敷きを使うことで、姿勢が良くなり、長時間の勉強や書き作業でも疲れにくくなる。
しかし、説明しても、やはり全く使おうとしない。
そして今、小学校5年生に進学しようとしているが、今も下敷き不要論者。
私の中では、「下敷きを敷くのは当たり前」という考えがあったので、娘の考えに違和感しかない。
でも、待てよ。
下敷きを敷かないで困るのは自分。
そして、娘は自分では困らないと言っている。
娘が下敷きを敷かないことで私は全く困らない。
むしろ、よくよく考えてみれば、
「え、下敷きって敷かなくてよいの?」と逆に驚いた。
下敷き敷くのは当たり前だと今まで思っていた私。
自らの思い込みや予想が、どれだけ限定的であるかを痛感した。
子どもは親とは別の人格
子どもは別の人格と頭では分かっていても、やはり干渉したくなってしまうのが親。
育児に関する本もたくさん読んだが、至るところに「子どもは親の思い通りには成長しない」と書いてある。
読んでいる間は、ふむふむと納得して読む。
だが、このような下敷きに関するエピソードのように、子育てをしていると、子どもの行動に、違和感と気持ち悪さが発生することが多々ある。
下敷きを使わない彼女の主張も、私の考えとは全く違うが、親の私が非難したりするところではない。
彼女は、自分の方法で勉強することに快適さや自由を感じているし、それは彼女の個性や学習スタイルに合ったものだ。
子どもたちは、われわれ親とは異なるスタイルやアプローチで物事に取り組むことがある。
このことを再認識したほうが、子どもとは良好なコミュニケーションがとれそうだ。
子どもの違和感のある行動に対して、「そうするべきではない!」と伝えるよりも、
「あ、そういう考えもあるんだね」と自分の認識を改めるほうが、子どものことを尊重できると思う。
まとめ
親が子供の行動に対する違和感や理解の欠如に直面した際には、一歩引いて冷静に考えることが重要だと感じた。
自らの期待や思い込みに囚われず、子どもの個性や学習スタイルを受け入れることが、より良い関係の構築につながる。
どうしても親と子の関係性は、境界線がぼんやりしてしまいがちだが、やはり子どもは別の人格。
子どもには子どもの主張があるのは当然。
お互いの立場や考えを尊重し合うことは、親子の間でも必要だと感じた。
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