上司の突然死から3年経過~悲しみに暮れる毎日

雑記ブログということもあり、書きたいことを書かせてもらっています。

これはずっと書きたかった話。

ちょっと暗くなってしまう話なので、もし読まれる場合はエネルギーがある時の方が良いかもしれません!

 

僕がとてもお世話になった課長が43歳で脳梗塞で突然亡くなってから3年程経ちます。

もうそろそろ命日です。

亡くなった課長へは、もう何も伝えることは出来ないけれど、課長からもらった嬉しかった言葉、教えてもらったことは多く、僕以外の人にも届けたいと思います。

目次

拝啓 親愛なる課長。

拝啓 親愛なる課長。

あなたが亡くなってから3年が経ちます。

出会い

課長と出会ったのが5年前、僕が中途入社した時でしたね。

僕の入社と同時に、課長は営業部から畑違いのうちの課に異動されました。

僕は前職の経験もありましたが、課長は本当に0からスタートでしたね。

 

初めてお会いした時に言ってくれた言葉は覚えていますか。

「一緒にチームを作っていこう。長い付き合いになると思うけど、よろしく」です。

長い付き合い・・・。

本当に、もっと長く一緒に働きたかった。

課長がいつも言ってくれていた「右腕」としての使命をもっと果たしたかったです。

仕事をしている中で、嬉しかった言葉

仕事の「右腕」として僕のことを気にかけてくれて、かわいがってくれました。

「自分は、ずっと営業職だったから業務のことはyamatoさんの方が出来るけどマネジメントは定評があるんだ」と仰ってましたが、本当にその通り。

叱られたこともあったし、褒められたこともいっぱいありましたね。

ちょっと恥ずかしいことも、ちゃんと言ってくれるのでその時は照れてしまいましたが、本当は嬉しかったんですよ。

父親の代わりは出来ないけど、業務なら代われる。家族優先!

娘が当時3歳くらいの時、たまに発熱した時に言ってくれましたね。

フルタイムの共働きを送っている中で、どれだけこの言葉が心強かったことか。

これは今も後輩たちに僕が言っていますよ。

yamatoさんは、知識なんかよりもすごいものを持っている。

実は、結構貴重な社会保険労務士試験に合格(当時の合格率は2.6%)していたので、入社当時はその噂が結構広まっていましたね。

急成長を遂げている会社なので、高学歴とか国家資格を持つ社員なんていなかったので、この情報が勝手に一人歩き・・・。

まわりの社員からは僕個人というよりも肩書きで見られていた気がします。

でも、課長は違いましたね。

もちろん、知識もすごいけど、前例の無い問題にも対応できる能力を評価してくれました。

「俺たちは開拓者だな」なんて言って励まし合っていましたね。

おかげさまで、今でも仕事は好きですよ。

もっと一緒に荒野を耕したかったですが。

信頼している。

シンプルに嬉しかったです。

期待に応えようと先回りして仕事していました。

亡くなったと知らされた日

夕焼け

3年前の土曜日。

休日。

突然、部長から課長が突然亡くなったという連絡が夜に来たときは悪い冗談かと思いました。

いやいや、前日一緒にいつもの寿司屋で海鮮丼を食べながら、ランチミーティングをしていたじゃないですか。

ただのランチだって言って、いつも課の行く末とかの話になる、二人のランチミーティング。

 

信じない。

信じられない。

当時、連絡を受けたときは、「課長の顔を見るまで」は信じないと決めて休日を過ごしました。

次の出社日

課のミーティングでも部長は、課長が亡くなったと言ってきました。

え?

 

その後、社内案内で訃報を発信したのも僕です。

でも、まだ信じられない。

葬儀の日

葬儀は課のメンバーと行きました。

お顔、拝見しました。

ここでようやく受け入れることが出来ました。

 

奥様と小学生の息子さんが二人、横に立っていました。

もう、みんな目が真っ赤。

「課長、仕事の代わりは僕が出来ますが、家族の代わりは・・・」ってこっちの台詞ですよ。

宇宙兄弟にはまっている息子さんの話、

奥さんが働きだすかもって言ってた話、

家族で先月富士に旅行に行った時の話、

先週、ドラえもんの映画をお子さんと見に行って感動して泣かれた話、

ご家族の顔を見た瞬間から一緒にした家族の話を全部思い出しちゃいました。

葬儀から帰り、自宅の最寄り駅に着いてから

原宿

その日は雨でした。

ようやく一人になり、課長の死を受け入れ、初めて涙が出ました。

雨に紛れて大泣き。

駅から自宅まで、いい年したおっさんが大泣き。

この時の感情は、ただただ「もう会えないのが寂しい」。

 

自分でも結構驚いたのですが、「悲しいから」泣くのではなく、「寂しいから」涙が出ました。

 

課長のしゃがれ声はもう聞けなんですか。

僕が課長の名前をもう呼ぶことも無いんですか。

課長と一緒になじみの中華屋にランチに行き、課長が好きだった回鍋肉定食と僕がいつも頼む担々麺をいつものように頼むことも無くなってしまうのですか。

 

全てが、寂しい。

帰宅した時の目が真っ赤な僕を見て、妻は察してギュッとしてくれました。

その後は風呂に入り、子どものように泣きじゃくりました。

感動した時以外だと、10年ぶりくらいに泣いたかもしれません。

次の日からの1週間

突然のことだったので、仕事は引き継ぎなども全く無くて怒濤の1週間。

 

課長が作った資料を見るだけでも心が痛い。

課長の名前、名前の漢字の一部を見るだけでも、辛い。

 

しかし、仕事している時は、やることが多すぎてまだマシ。

問題は通勤電車。

考えても仕方ないけど、課長が亡くなったことが頭から離れない。

たまに通勤電車でも泣きそうになる。

この気持ちは時間と共に薄れていくものだというのも頭では分かる。

でも、ずっと考えてしまう。

いっそのこと、深く深く悲しがってみようと、「悲しくなる曲」とかを検索して聴いてみる。

さらに悲しくなる。

 

家に帰ると子どももいるし、育児や家事もあって少し救われました。

子どもの顔を見るとホッとしました。

家族がいるだけで少し気持ちが楽になりました。

課長が大切にしていた、家族の存在って本当に大きいと思いましたよ。

子ども

ご家族への訪問

退職金、弔慰金の話と一緒に、課長の私物を奥様へお渡ししました。

一緒に泣きました。

私物の中にタバコが入っていたんですよ。

奥さんが、「うちの人、禁煙していたって言ってました・・・」と仰ったので、

「あれ、僕のが入ってました、すみません」と言ってタバコは引き上げました。

貸し一つですよ。笑

亡くなってから1年間

1年間は、課長のことを思い出すのを繰り返しながらの日々でした。

それにしても、業務の引き継ぎが無かったので、仕事は大変でした。

みんなでヒーヒー言いながら年を明けました。

でも、そんな引き継ぎなんていくらでもやるから、ただ生きていて欲しかった。

 

正月はいつものように過ごせず、ずっと心にぽっかりと穴が開いた状態でした。

「心にぽっかり穴が開いた」というのは良い表現だと思いました。

亡くなってから3年目

花

もうすぐ3年が経ちますね。

そうそう、課長が言ってくれたことの中で、胸をはって達成出来たことがあるんです。

 

「超スピードで係長にしてやるからな」

 

これ、叶いましたよ。

育児も家事も頑張ってやっているつもりですが、仕事も結構頑張ってやっていたんです。

マネジメント、めちゃくちゃ大変ですね。

課長のマネジメントスキル講座、今必要です。。。

毎日かなり悩みながら仕事してますよ。

もっと聞いておけば良かった。

 

あと、課長。

僕が係長になったら二人でうまい酒を飲みに行こうと言っていたじゃないですか。

どうしてくれるんですか。

仕方ないので、一人で飲みに行きました。

よく二人で飲みに行ったあの店に。

いつも頼んでいた黒ビールを代わりに飲んでおきました。

この時に結構吹っ切れた気がします。

未だ、もらったメールは消せていません。

しつこくてすみません。

もうすぐ、課長がサイボウズで未来のスケジュール登録してくれていた「yamatoさん入社5年目」の日です。

このスケジュール登録の日が近づくと、今の自分を見て課長は何と言うのかなと想像します。

 

課長、今の僕はどうですか。

ちゃんと成長していますか。

 

最近は僕にも右腕が出来ましたよ。

大切にします。

あなたが僕にしてくれたように。

敬具

まとめ

夜中につらつら書いてしまったので、朝見ると!!?の内容かもしれません。

でも、ようやく書けた気がします。

長文、失礼いたしました。

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